ゴミ屋敷と聞いて、多くの人が思い浮かべる光景の一つが、床を埋め尽くし、壁際に山脈のようにそびえ立つ、おびただしい数のペットボトルではないでしょうか。なぜ、ゴミ屋敷では、これほどまでにペットボトルが溜まってしまうのでしょうか。その背景には、現代のライフスタイルと、ゴミ屋敷の住人が抱える、特有の心理状態が深く関わっています。まず、現代社会において、ペットボトル飲料は、非常に手軽で、生活に密着した存在です。コンビニや自動販売機で、いつでも簡単に手に入るため、特に自炊をする気力がない、あるいはできない人々にとっては、水やお茶、ジュースといった水分補給の、主要な供給源となります。食事がコンビニ弁当中心の生活を送っていれば、必然的に、空のペットボトルは毎日、増え続けていきます。次に、ゴミ屋敷の住人が抱える「片付ける気力の減退」という問題があります。うつ病やセルフネグレクトの状態にある人々にとって、ペットボトルを処理する一連の作業、つまり、「中をすすぐ」「ラベルを剥がす」「キャップと本体を分別する」「決められた収集日に出す」という行為が、途方もなくエネルギーのいる、実行不可能なタスクに感じられてしまうのです。その結果、「とりあえず、後でやろう」と、部屋の隅に置き始め、それが一つ、また一つと積み重なり、気づいた時には、自分ではどうすることもできない量になってしまいます。また、中身が残ったままのペットボトルは、生ゴミのように強烈な腐敗臭を放つわけではないため、「まあ、いいか」と、放置されやすいという側面もあります。しかし、この安易な先延ばしが、部屋を埋め尽くすペットボトルの山へと繋がっていくのです。このように、ペットボトルの山は、手軽な現代社会の利便性と、ゴミ屋敷の住人が抱える、深い無気力とが交差する点で生まれる、象徴的な光景と言えるのかもしれません。
なぜゴミ屋敷にペットボトルが溜まるのか