かつての私の家の庭は、誰の目にも明らかな絶望の象徴でした。数年前、私は仕事のストレスからセルフネグレクトに陥り、家の中のゴミを片付ける気力を完全に失っていました。室内が物で溢れかえると、私は無意識のうちに窓から庭へと不用品を投げ出すようになりました。壊れた扇風機、中身の入ったままのペットボトルの袋、いつか使うと思って取っておいた段ボール。それらは瞬く間に庭を占領し、雑草と絡まり合って、近寄ることさえ恐ろしい「ゴミの森」を作り上げました。近所の人々の冷ややかな視線を感じるたびに、私はさらに窓を閉め切り、カーテンの隙間から外を伺うだけの生活を送るようになりました。庭が汚れていることは、私が自分自身の人生を放棄していることの、何よりの証明でした。そんなある日、自治体からの強い勧告を受け、私はようやく専門の業者を呼んで庭の片付けに着手することにしました。作業員の方々が防護服に身を包み、長年放置されていたゴミの山を一つずつ切り崩していく様子を、私は家の奥から震えながら見ていました。ゴミの下からは、かつて私が大切にしていた鉢植えの成れの果てや、家族でバーベキューを楽しんだ時の椅子が、無残な姿で現れました。自分の過去が泥にまみれて運び出されていく光景に、胸が締め付けられるような痛みを感じましたが、作業が進むにつれて、庭に本来の陽の光が届くようになったとき、私の心の中にあった重苦しい霧が、少しずつ晴れていくのを感じました。三日間の作業を終え、最後の一袋がトラックに積まれた後、そこには驚くほど広々とした、土の匂いのする庭が戻ってきました。それまで私は、ゴミによって自分を世界から隠していたつもりでしたが、実は自分をその中に閉じ込めていただけだったのです。庭を片付けたことで、私は数年ぶりに玄関のドアを堂々と開け、外の空気を深く吸い込むことができました。隣人との挨拶も、以前より自然にできるようになりました。庭を片付けることは、単に場所を綺麗にするという作業ではなく、自分自身がこの社会に存在していいのだという許可を自分に与える行為でした。今、私はその庭に小さな花を一輪植えました。毎日水をやり、土に触れることで、私は再び自分自身の人生を歩き始めているという実感を得ています。あの日、勇気を出して片付けを依頼して本当に良かったと心から思っています。