実家の片付けを自力で行おうと決意した私が、最初に直面した最大の難関は、父が残した膨大な数の使い捨てライターでした。実家はいわゆるゴミ屋敷と呼ばれるほどではありませんでしたが、物置や引き出しの奥から出てくるライターの数は、予想を遥かに超える五百本以上。それも、半分以上の中身が残ったままの状態で、何十年分もの生活の断片がそこに凝縮されているようでした。自治体のゴミ出しルールを確認すると、ライターは必ずガスを使い切るか、中身を空にしてから出さなければならないと記されていました。そこから、私の気の遠くなるような「ガス抜きの日々」が始まりました。毎日仕事から帰った後の数時間、私はベランダに座り込み、ペンチやテープを使ってライターのレバーを固定し続ける作業を繰り返しました。シューというかすかな音と共に、甘いような独特のガスの臭いが漂い、それが一本終わるたびに新しいライターに手を伸ばす。指先はレバーの操作で痛み、精神的にも削られていくような感覚でした。なぜ、父はこれほどまでにライターを溜め込んでしまったのか。失くしては買い、使い切る前にどこかへやってしまう、その小さな無責任さの積み重ねが、数十年後に私の肩に重くのしかかっている事実に、憤りよりも深い悲しみを感じました。ゴミ屋敷の片付けの本質は、こうした地道で面倒な作業の連続です。華々しい「全撤去」の裏側には、一本のライターを空にするための数分間という時間の集積があります。ガスを抜き終わったライターが袋に溜まっていくたびに、実家の空気が少しずつ軽くなっていくような気がしましたが、それと同時に、自分たちの家族が抱えてきた「放置」の歴史を突きつけられているようでもありました。結局、すべてのライターを処分するのに二週間以上の時間を要しましたが、その経験を通じて私は、一つの物を最後まで使い切ること、そして正しく捨てることの重みを、痛いほど学びました。ゴミ屋敷を作らない唯一の方法は、ライター一本、ゴミ一袋を、その都度正しく処理する。その当たり前の習慣を、生涯守り続けることなのだと確信しています。
ゴミ屋敷の片付けでライターのガス抜きに追われた日々